面積 | 162.56k㎡ | ![]() |
人口 | 4,010人(2015年03月31日) | |
人口密度 | 24人/k㎡ | |
町の木 | すぎ | |
町の花 | ゆり |
●乙部町役場所在地 | ![]() |
〒043-0103 | |
北海道爾志郡乙部町緑町388番地 | |
TEL 0139-62-2311 |
乙部という地名の語源は、アイヌ語の「オトウンペ」(河口にある川)から転訛したものと考えられ、その川は、現在も市街地を流れている「姫川」がそれにあたります。
明治 2年 官軍上陸
明治11年 乙部、三ツ谷、小茂内、突符、蚊柱学校開校
明治12年 乙部村戸長役場、三ツ谷村戸長役場設置
明治16年 江差警察署乙部分署開庁
明治26年 江差区裁判所乙部出張所(登記所開庁)
明治35年 二級町村制施行「乙部村」
明治45年 乙部村魚業組合設立
昭和23年 乙部村農業協同組合設立
昭和40年 町制施行
昭和51年 乙部町民会館新築落成
昭和54年 乙部町民体育館新築落成
昭和58年 乙部町公民館新築落成
平成 2年 「海のプール」オープン
平成 5年 北海道南西沖地震発生
平成11年 おとべ温泉いこいの湯完成
乙部町にはじめて人間が住みついたのは、約1万2千年前頃で、千岱野遺跡でこの時代の石刃、尖頭器が採集されています。
和人の移住は伝承や記録により嘉吉年間(1441年~44年)~安永年間(1772年~82年)の300年の幅があって判然としていません。
乙部町の地名が史料で初めて見えるのは「松前年々記」(1633年)「ヲトベ瀬茂内マテ舟ニテ順見」で、そして「松前島郷帳」(1711年)では「乙部村・小茂内村・大もない村・とつふ村・みつ屋村・かはしら村」の6か村が記録され、「和人地」に組み入れられて集落を形成しています。
社寺が建立され集落が形づくられていく中で大島噴火に伴う大津波(1741年)で多くの死者を数える大惨事や乙部村大火(1861年)では170戸を超える家屋が被災しました。
明治維新では、松前藩が旧幕府軍に追われての後退(1868年)や翌年には明治政府軍が乙部に上陸して進軍を始めるなど函館戦争と深い係わり合いがあります。 明治35年 (1902)北海道二級町村制により村名を乙部村とし、それまでの乙部村、小茂内村、突符村、三ツ谷村、蚊柱村は村の大字となりました。 漁業を中心に発展を遂げた乙部村は、昭和40年(1965)に町制を施行し「村」 から 「町」になりました。 |
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・元和台海浜公園 |
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・縁桂 樹高約40m、日本の桂の木が高さ約6mのところで絡み合い連理木となっています。この木に触れると良緑に恵まれると崇められています。昭和48年に北海道記念保護樹木に指定、平成12年「全国森の巨人たち百選」に選定されています。 |
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(天然記念物)
・鮪の岬の安山岩柱状節理 ‐ 昭和47年4月1日 北海道天然記念物に指定 |
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鮪の岬の柱状節理は、上半分が柱を横に重ねたように、下半分は縦に並べたようになっており、上下で異なる景観は全国でも珍しい。 |
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・元和台マリンフェスティバル(7月) | ![]() |
・温泉&産業祭り(8月) | |
・ふれあい交流盆踊り(8月14日) | |
・八幡神社例大祭(8月14日~16日) | |
・シバレ・ふれあい富岡(1月下旬) |